とてもうるさい

文章を書く練習だけども公開メモ置き場かも

「夢女子になっちゃう!」と心の中で思ったならその時既に行動は終わっていようぜ

うっかり忘れかけるぐらい放置しちゃったし、未だにこのブログの使い方が定まらないんだけど、とりあえずこのへんのことは一度書いておいた(変わったらまたあとから新しく書くなり)方がいいんじゃ、と思ったので書いてみる。



いや「なっちゃう!」とか言ってる暇あるならむしろ「なろう」よ。言うだけなら帰ってくれ遊びじゃないんだぜ。みたいな話。


私は、二次創作の「夢小説・夢絵」(以下その他の「夢なんとか」もまとめて「夢」)が、CPとかモブとかオールキャラとかソロとか……とにかく「他のありとあらゆる二次創作」と同じぐらい、多くの人に気軽に書(描)かれる、「表現の手法として常に選択肢のひとつに入っている」、そういう、「みんな」にとって気安い存在になってくれたらいいなぁ、と、わりと真剣に思っている。

2015年ぐらいから、オープンなインターネット、ピクシブツイッターの鍵のついてないアカウント、それも特にプロフィールに「夢」の文字がないものの発言なんかで、よく「夢」が話題に上げられているのを見るようになってきたけれど、正直、まだ、「面白がられているだけなんじゃ」という不安が拭えない。


これまで、「夢」はその界隈外で言及される機会自体がすくなかった。「夢小説」は「名前変換」という特性上どうしても個人サイト(名前変換のある場所)から離れられなかったからだ。

(あるいは近い機能のあるサイトにいくってのもあるにはあったけど、サイトごとに大分雰囲気は違うし、ここでは主に私が見ていた個人サイト中心の「夢」に話を限らせてもらう)

個人サイトに残ったためか、古より伝わる同人女暗黙のルールである「検索避け」もどうやら他よりしっかり残ったようで、ツイッターに進出しているとしても、アカウントに鍵をかけている「夢」の民は多い。だから、主な活動の場をSNSに移したオタクたちから、「夢」の民は長らく認識されていなかったように思う。(元は同じところにいたとしても)


それが、とあるジャンルの流行から一変、そのジャンルにまつわる「夢のようなそうでないような、人によっては夢とするけど、人によっては夢としない」創作が流行り、「夢」という概念や言葉もよく人々の口に上るようになった。これが2015年のこと。

この時、久々に表舞台(検索避けのないところ)に大っぴらに出てきた「夢」にかけられた言葉が、どうしても忘れられない。

(キッカケとはいえあまりにもあまりな出来事だから詳しく書きたくないんだけど「2015年の(女性向け)大ジャンル」だけで察しついた人は多分それであってる)

ここからまた別の流行やジャンルを経て、「夢」界隈の中でもどうやら、もう少し大っぴらに、楽しく、「夢」をやってもいいのでは的な風潮が広がっていくようで、オールジャンル「夢」ジャンルの物理本のプチオンリーが開かれたりなんやりもして、多分今、「夢」はSNSに創作の場が移ってから一番盛り上がってる。


そうして、この流れ(「夢」が大っぴらになった)と関連してか、「夢女子になっちゃう」(あるいは「夢女子じゃないけど云々(夢的なツイート)」)という言い回しをここ最近(半年ぐらいかもっと前? とにかく17年入ってからの気がする)よく見るようになった、と思う。

一見、というか2015年に情け容赦なくかけられた言葉に比べればかなりマシ、どころか素敵にさえ思える、のだけど。ひとつツッコミをいれるとするなら、


いや……じゃあ、なればいいじゃん?


むしろなれない理由がなくない?

「なっちゃう(もうなってる)」っていう即オチ二コマ的なネタなのかもしれないんだけど(だったら空気が読めなくてごめん)、これを言う人は大体プロフィールに「夢」の文字はない。(人のホーム見るのが趣味でごめん)


そこまで言うなら、

なろうよ、夢女子。

なれるよ、夢女子。


私自身の話をするなら、私は気がついた時には夢女子だったし夢小説を読んでいたし書いていた。やめようと思って実際やめた(ブックマークを全部消して自分のサイトも畳んだ)こともあるけど、大体一週間で帰ってきてしまった。

「夢女子になる前」に「なっちゃう」とわざわざ宣言する余裕はどこから発生しているんだ。

っていう不思議さと、「2015年のトラウマ」とあって、歓迎すべき言葉だろうに、どうしても、素直に受け取れない。

ふざけて、ネタとして、言ってるだけで、実際に夢小説や夢絵を書いたり読んだり萌えたりするつもりは毛頭ないのでは? とも、ちらっと考えてしまう。

(これで本当に「まあ面白がってるだけだよ」とかえされてしまうのはとても寂しい)
(というかだとしたら他人の「大好き」を堂々と開き直って物笑いの種にするなよお行儀が悪いな)

どうにかして、私はこの「面白がられているだけかもしれない(誰も真面目に夢をやろうとはしていないのかもしれない)」という「不安」を拭ってしまって、「夢」という言葉をみんなが衒いなく発する世界を無邪気に楽しんで愛したいと思う。


夢女子。わざわざ構えるほど難しいものではないと思うし、よくわからないなら目の前の四角い箱で検索してもらえれば「参考資料」はいくらでも出てくる(検索避け文化だからこそ検索引っかかるとこに何か残しとこうという人はまあまあいる)よ。


だからどうか気軽に、こちらに来て一緒に遊んでおくれ。


怖くないよ。


多分。